文 のっぽ (2001.9.15)

このエピソードは、ユーコン川下りの旅のエピローグとして、ちょうどよいストーリーかもしれない。というのは、ユーコンで使用したフネを使用して、ユーコンと同様、自分の車ではなく、公共交通機関を使用して移動して、その翌日、カナダを飛び立つ空港で親しくなった友人に会いに行くという旅でもあったからである。
カヤックをはじめて、ずいぶん長くになるが、それでも、今でも経験のないこと、初めての体験というのがある。今回の旅も初めての大きなポイントがあった。と、いうのも、これまで、さまざまな川を下ってはいるが、多くは車であり、つまり、少なくとも出発点と終点を車などで往復しているからだ。今回は違う。出発点から川を下り、終点から電車に乗り継いで、次の目的地に向うのだ。つまり、はじめてカヤックを「交通機関」として使用するワンウェイの旅なのだ。

その日、朝は、水口町というところに私はいた。東海道50番目の宿場町。53次の50番目である。51番目の宿は大津になる、と言えば、だいたい見当はつくだろうか。
近江鉄道の水口駅は、歴史を感じさせるたたずまいだ。いかにも昔の木造りの「駅」という感じである。入り口脇のコカコーラの自動販売機さえなければ。貴生川駅への切符を窓口で買う。窓口で買えるというのも価値だ。レトロなのはそれだけではない。切符も硬券だ。硬券というのは、硬い切符のことだ、ひらひらしていない、よれよれしていない、ちゃんとした切符だ。今やこんな切符は、「子ども鉄道ごっこ」セットぐらいにしか見かけることがない。ちょっと前までは、少し長距離のJRの切符も、みんなこんな感じだったのに、最近はチョコレートの台紙みたいな変な紙になってしまった。

切符の表の端には日付が刻印され、裏には4桁の番号がふられている。おもて面の右端のほうには斜めの線も入っている。子どもの切符として使う場合にはここを切り落とす。自動販売機の切符には「小」という縁取りの赤いスタンプが押されるが、あんなものは邪道だ。やっぱりこうでなくっちゃ。大人は本寸法の切符を持てる、うらやましい存在なのだ。

走っている車両はしかし、あんまり感心できない。なんたって西武系。白い車両のヘッドマークにレオがいる。まあ、隠れ西武ファンとしては、それはそれで許す気になれる。車両はワンマンカーだ。以外に人がたくさんいる。多くは生徒たちだ。田舎の生徒たちは自転車で通うものと相場が決まっていたように思っていたが、どうもそうでもないらしい。

終点の、一つ手前で生徒達が降りてしまって、車内はとたんに静かになった。ここから貴生川まではかなり長い距離、駅が無い。大きなカーブを曲がり終え、終着駅へ。ここはJRの駅だ。ずいぶん前大事故を起こした信楽高原鉄道の始発駅でもある。エスカレーターなどというしゃれたものは、ここには当然、ない。しかたなくゴロゴロキャスターをくくり付けた荷物を背負う。

出張の道具はすでにホテルから宅急便で送ってしまっている。今回は特大の防水袋が一個だけだ。キャンプ用品も食料も、自炊道具も不要だからだ。ゴム艇、パドル、PFD、空気入れ、水用の靴、着替え、タオルなど、合計で20kgほど。非常にコンパクトだ。

防水袋だけでは不便なので、トートバッグももっている。こちらには、若干の食料や水のほか、文庫本やサングラスなども入っている。小さいが、5キロほどはある。
貴生川から草津線の柘植への接続はそれほど悪くはなかったが、柘植で関西本線の西行きは40分ほどの接続だ。どうしようもない。たいていの人は名古屋方面に抜けるのだろうか。駅前には店一軒ない。そもそも駅前がない、というべきか。「本線」とついていながら、ここもどうしようもなくさびれた線だ。名古屋への直通急行列車が往復一本。優等列車はこれだけで、各駅停車は1時間に1本ほどだ。

架線はかかっているが、単線の線路の上を走るのは、ディーゼルのレールバスみたいなシロモノだ。遠くから、カタン、カタンとレールの継ぎ目のような音を立てて走ってくるが、近くに来ると、ブウウウーンと、車のエンジンそのものの音がする。当然ワンマン運転で、部屋をしきられていないため、「走行中は運転手に話しかけないでください」なんてバスみたいな注意書きがはられている。

それでも休日のせいなのか、車内はなかなか混んでいた。前後のドアのそばはロングシート、中ほどにはクロスシートも少しある。田園風景の中を抜けていく、ところどころで木津川が見られる。笠置にだいぶ近くなってきた。笠置の上流部分が見える。だいぶ瀬がたくさんある3級ぐらいだろうか。グモでいけなくもなさそうには見えるのだが、情報がないだけに心細い。今日の天気予報はかなりよくないし、おとなしく下ることにする。しかし、それにしてもそうとう出遅れてしまった。もう10時を15分も回っている。これでは昼前に川に出られるかどうか、というところだ。


笠置の駅は名古屋方面から来ると陸橋を渡らなくてはならない。もともと単線なのだし、列車もほとんど来ないのだから、線路の上を横断させてくれればよさそうなものなのだが、どうもそうはしてくれないらしい。細い跨線橋を横断し、改札を出た。と、そこにフジタ艇を背負った年配の方が話をしているのに出くわした。思わず「こんにちは」と言ったが、話に夢中で気がついてもらえない。多少心証を悪くしてそこを離れる。

駅を出ると思いのほか、すぐに、キャンプ場に降りる、例の細い道の角にきた。しかし、木津はユーコンと同様、途中での補給はきかないと考えたほうがよい、できるのだろうが、なにせ川から上に上がるのがおっくうだ。できるだけ持っていくに越したことはない。すぐ先に果物を置いている店が目に入った。入ってみると酒もおいている。まずはビールだ。1リットルほど買い込む。パンや菓子は売っているが、米類はない。「弁当ないの?」と聞くと、「二軒隣に肉屋が。そこで」と言う。

なるほど、肉屋がある。日曜日は開いているかどうかはわからない。にぎりめし。唐揚げが表に出してある。思わず手を伸ばしかけたが、なんだ普通の弁当もあるじゃないか。肉屋だけに「やきにく」弁当とかいろいろ豊富である。平均700円くらいか。頼めば売り物の肉も焼いて入れてくれるんだろう。煮物などもあった。ここで河原のバーベキューの「手ぶらセット」みたいのもアレンジしている。と、するとシーズン中は日曜もやっているのかな?
焼き肉弁当を買っていると、さきほどのフジタの二人連れが店の前を通り過ぎるので声をかける。「どちらから出るんですか?」「この先のカヌー広場からね」「キャンプ場じゃなくて?」「橋の下に瀬がありますよね。瀬はあそこしかないですから。瀬が楽しいから」。

一瞬、私も、と思う。それから「冗談じゃない」と思いなおす。距離を歩くのはごめんだ。瀬が楽しければ上流にいけばよい。川を楽しみたければゴム艇の方が良い。のっけから水浸しの状態でなんにもないところを下るのは、おもしろくもなんともないだろう。あたたかな弁当をぶらさげ、さらにジュース類を二リットル仕込み、キャンプ場へごろごろっとフネの入ったザックを転がしていく。

キャンプ場の先の河原に荷物を広げる。ちょうど450(アルフェック製、ボイジャー450T)を組んでいる人がいる。といってもあらかた組み終わっていたが。「いいフネですね」「ええ」「まだきれいですね」「買ったばかりなんですよ。8月の中旬ぐらいに。家族を誘ってるんですが誰も乗らないんで一人なんです」よこにやはりキャスターを持っている。「歩きで来られたんですか?」「車で。木津から電車で戻るんですよ」。と、すると泉大橋までか。それはずいぶん短くないかな。「どのくらいかかります?」「ゆっくりいって3時間です。いつもは、10時ぐらいに出て、1時ぐらいに撤収するんですよ」

3時間とはずいぶん短い遊びだな、と思いつつ、今回はソロで来たことを幸運に思った。3時間ぽっちだなんてもったいない。ぎりぎりまで遊ばなくちゃ。天気は、悪くなかった。時々差す日差しは熱く、その時は帽子から汗が滴った。天気予報では、午後の降水確率50%。相当悪い。そして、現在雷注意報が出ているとのこと。しかしこの時点では青空も部分的に見えていた。そんなに悪くない。気温は27度ぐらいはあるので、寒くなることはないだろう。それでも、下半身はウエットを着ていたほうがよいだろう。なんたってせっかくもってきたんだもの。

例によってグモを膨らませる。足踏みポンプで膨らませる。これがけっこういい準備運動だ。足踏みポンプは早く押しても効率が悪くなるだけで早く膨らむことはない。例によってセンターデッキには空気を入れない。ねそべるためだ。最後にラダーを装着する。ガイドロープ受けと、ラダーの金属板を外してあるので、これを、船側の受け具にネジ止めする。購入したばかりのレザーマンが活躍だ。

川船を持ってきた人が声をかけてくる。「自作したんですか?」「いえ、買いました」「オプションで? 後から?」「そう」「ラダーがあると楽ですか」「風が吹くと、楽ですね。とにかくあて舵で漕がないとすすまないので」「ただ、高いですよ」と聞かれない事まで答える。「1万円ぐらいします。フネが4万円もしないのにね」ああ、なるほどね、という感じで相手が頷く。「このフネだいぶ年期が入っていますね」「そうもう5年くらい」実は嘘だ。8年になるだろうか。しかしたいした違いではないだろう。

組んでいる最中に、450が「お先に」と行ってしまった。しかしもう一艇、ファルトを組む人も現れた。目の前ではバーベキューをはじめる人もいる。なんということもないが、ここでパンツを脱ぐのははばかられる。そこで足だけ脱ぐことにする。ジッパーによって半ズボンにもなるという、アレだ。長いことカヤッカーをするといろんな装備を持つようになる。これもそういう便利アイテムだ。半ズボン状にしたところで、ズボン型のウエットを着る。そうして、水用の靴を履き、ひだのついた帽子に首焼けを防止するヒダをつける。防水袋に食料と文庫本以外のすべてを突っ込み、前席に置く。出発だ。

グモの乗り方はいつも通りだ。フネを引っ張り、水に浮かべ、その後引っ張り戻し、大きく足を開いておいて、股の間に後部デッキを滑り込ませる。そして、フネの上にしりもちをつく。こうして乗ると、フネの中に水が入り込むことを防ぐことができる。

小さな川の流れ込みから漕ぎだし、すぐにちょっとした瀬がある。ぼこぼこいっているように見えるがなんということはない、前回下った時に、きたむらさんがそのノーティレイの腹をかっさばいた地点も難なく通過してしまう。ぶくぶくが消えたところで、パドルを水からだし、寝そべる。気持ちがいい。ここで時計を見る。まだ11時20分だ。さすがにゴム艇のセッティングは速い。30分程度で船組みと着替えを済ませてしまえる。


木津川は流れていた。前回きたときより、明らかに流れが速かった。水の色は相変わらずだ。緑色。あるいは周りの風景が写りこんでいるだけの色なのかもしれない。そういう意味ではユーコンとかわりがない。妙な泡などほとんどないから、私の見たユーコン川(テズリン川ではなく)よりきれいなのかもしれない。ただ、川周辺自体はもちろん、それとは比べ物にならない。川の側の木々にはビニルやごみ袋、ひどいのは毛布までがぶらさがっている。河原のゴミもすごい。空き缶や弁当のゴミがそこら中にある。釣り師だけが悪いわけではないだろうが、ジコチューの釣り師が多いのも事実だ。

瀬はない、とさっきの人たちはいっていたし、私もそういう認識でいたのだが、多少サラサラと音を立てているところはいくつもあった。流れているたけが地面に食い込んだり、河原のしげみにひっかかって、瀬を作ってしまっているのである。しかし、特に注意しなければいけないというところはなさそうだ。私はそのまま寝そべっていることにした。
木津川には、野鳥がたくさんいる。宝庫、とまではいえないのかもしれないが、鷺やら鴫の類をたくさん見ることができる。鴨ぐらいしか見かけなかったユーコンよりはるかに変化に富んでいる。大型の野鳥があちらこちらで羽を休めているのだ。漕がなければ、音もなく近づくことができる。ぐっと近くで観察することもできる。たいていは20メートルも近づけば逃げてしまうのだが。

15分もくだったところで、後ろから、話し声が近づいてきた。見ると先程の二人連れだ。水色のQG-2だった。男二人で一生懸命漕いでいる。速い。川の流れも手伝って、時速10キロ以上は出ているようだ。ぐんぐん近づいて、あっという間に並ばれる。「やあ、さきほどの」「どうも」「どこまで下りますか」「決めてないんですよ」もう抜かれた。だいぶ距離が開いた。「私たちはね、近鉄の……」聞こえない。でも答える「そうですか。お気をつけて」。

そう、どこまで行くか決めていないのだ。淀川の合流まで行ったら行き過ぎかもしれない。どっかに京阪電車の駅があったように記憶している。道路地図をコピーし、すぐ取りだせるようにと、シャツのポケットにしまったはずだった。しかし、ない。他のポケットにも、ない。どうやらなくしてしまったらしかった。元来、人間がそこつにできているのでどうしようもない。ないらしかった。しかし、木津で降りるのは、癪だ。少なくとも前回の場所(山城大橋)までは行くつもりだった。あの赤橋には鉄道の駅はなさそうだったが、バスが走っていたように思う。このあたりのバスは大阪に行く駅に出るに違いない。この時点であまりくよくよ考えないことにした。

フジタ艇を見送って、「なにがおもしろいんだろ」と考えた。漕ぎたいのなら、川をさかのぼればよさそうなものだ。この川は水鳥をおどろかさないように近づいていくこともできるし、のんびり下る川なのじゃなかったのか。そう自問して苦笑した。数年前ならば、やはり私もしゃかりきになって漕いでいたかもしれないな、と。それぞれの価値観があるのだろう。もしかしたら新しいフネを手に入れたばかりで漕いでいたいだけなのかもしれないし。

ここで、弁当を食べることにした。取りだして、あ〜、と思う。なんか汁が滴っているからだ。船がべとべとになっちゃうじゃんか。汁は大根から出てきたものだ。先にそいつを食べる。うまい。くやしいけどうまい。食べていると人がすずなりになっている河原を通過する。前回の時、きたむらさんがアクシデントで弁当を流してしまい、ここで買えないかと上にかけあがったところだ。ここには河原に水道がある、という情報も手に入れていた。しかし、たちよらない。人の群れを見ながら下るのも楽しかろう、と思ったが、船が反対側を向いてしまった。しかし弁当を置いてまで修正したいと思わない。流れるにまかせる。それでも時々は修正も必要だ。だがラダーを使うまでのことはない。ラダーはフリーにして、時々弁当をしたに置き、数漕ぎするだけで、船は水の上をすべっていく。

食いながら流される。あいかわらずけっこうな流れだ。少なく見積もっても4キロ以上のスピードは出ている。これはなかなか嬉しい誤算だ。笠置から、木津駅のある泉大橋までは、道路地図でざっと見ても15キロほどあるのだが、この間、進路修正以外にパドルを入れることもなく、2時間40分あまりで下ることができてしまった。これはなかなかのものだ。平均時速5キロ以上も出ている。ふだんの那珂川よりも速いかもしれない。速かった理由の一つは追い風もあった。そんなに強い風ではないが時々追い風が吹く。幸先は良い。

飯を食い終わり、今度はビールだ。最近、季節もののビールは全国的に置かれるが、ビールにあまり地方色がなくなってしまった。それでも、先程の酒屋には、朝日の吹田工場謹製ビールが置かれていた。それを飲む。カヌーといえばこのところスクリューキャップ方式がもてはやされている。確かに便利だ。しかし、味気ない。できればコップにしたいところだ。あ、スクリューキャップのやつからコップに注げばいいのか。次回はそうすることにしよう。

恭仁大橋の先に、カヌーが見える。見ると、先の二人組だった。昼食休憩のようだ。手をあげて挨拶をする。むこうも手を上げる。どうして河原のごつごつした石の上で食べるんだろうな。川にきたのだから、川の上で食べればいいのに。しかし、フジタ艇の硬い椅子の上だと同じことなのかもしれないな。これじゃ、まるっきりウサギと亀だ。しかし、どのみち、また抜かれることになるだろう。なんといっても私は漕ごうという気は一切無いのだ。
泉大橋を通過したのは午後のちょうど二時ごろだ。泉大橋の横の河原も人がすずなりだ。どうでもいいけど河原にいるだけで楽しいのかな、と考える。ここまでは非常に順調だった。途中うつらうつらしたら、あっという間に浅瀬に乗り上げてしまって、ユーコンとの違いは痛感するはめになったが、それでも鳥を見たり、本を読んだりしながら下ってこられた。

さて、木津を通過したので、本格的に寝ようと思ったら、天気がだいぶ悪くなってきた。と、ちょっとぱらぱらっときた。雨の木津川というのは、けっして悪くない。むしろピーカンであると河原に人も多く、みたくないものもたくさん見えてしまう。雨のほうが、とぎすまされていいこともある。しかし、雨では本が読めない。昼寝もできない。しかたない、別のことをしよう。

日本の川の良いのは、携帯電話がだいたいのところで入ることだ。電話をしながら川を下ることが可能だ。そして、今月からはCASIOの防水携帯電話を使用している。シャワーの中でも、風呂の中でも使えるというやつで、ゲームもできるから暇つぶしにはもってこいだ。興ざめに思うかもしれないが、こういうライフスタイルだって、あったっていいじゃないか。

ゲームに夢中になっていると、またも先程のフジタ艇が視界の端に現れる。こんどは挨拶もそこそこに消えていく。ライフスタイルの違いは決定的だ。彼らは雨が降っているということだけでも許せないのかもしれない。
青い開橋を通過してしばらくすると雨が降り止む。ちょっと横になる。と、右岸に釣り師が現れる。あっちいけ、と怒鳴ってる。なんてやつらだ。行けといわれた方には流れが無い。漕がなきゃなんないじゃんか。なんであいつらのために、あいつらにどなられながら漕がなきゃなんないのか。俺が釣れちゃまずいっていうのか。俺と魚と差別するのか。内心むかむかきながらも、よけることにする。なんたって喧嘩は数で、多勢に無勢だ。一気に気分を壊される。

どうもさっきからぶんぶんと音がする。ラジコンっぽい音だ。そういえば前回もこのあたりでラジコン飛行機を飛ばしていた人がいた。垂直に飛ばしたかと思うと自由落下させたりして、自由自在に曲芸飛行をしていた。同じ人なのだろうか。毎週休みになると、ここでラジコン飛行機を飛ばしているのだろうか。あるいは大会の時期とかに合わせて練習しているのだろうか。あれだけの名手なので触発された人とか、弟子が遊んでいるのだろうか。想像して思いを巡らせる。しかし結局、30分あまり、音がしただけで、一度も姿を見ることが無かった。

なんとなく眠るきっかけを失ったので、くだんの友人に電話をする。「楽しんでますか?」と弾んだ声がする。「おかげさまで」「雨は降ってませんか」「さっきぱらぱらと、でも今は問題ないです」「そう? こっちはざあざあいってますよ」「いやだなあ、それがこっちにくるのかな」「かもしれませんね」「でも雨の木津川も悪くないし。それに今日は身体が冷えても、その後に温泉があるから。逆に楽しみが増えるし」

雨が悪くない、と言ったのが、天に聞こえたか、またもやぱらぱらと雨が降りだしてきた。黒雲は見えるが、空はけっして暗くはない。しかしもう三時だ。もう一度地図を探索する。地図がない。そこでユーコンをともに下ったあきらさんに電話をする。運の良いことに電話がつながった。「後で困ったら電話するから、道を教えてね」

3時20分、水色の玉水橋の下を通過する。ここで不安になってきた。そもそも、川はどこかで大きく右に曲がるはずだったが、それは過ぎたのか。それは木津駅のそばだったような気もするがまだなのかもしれない。前回があまりにも大変だったので、あっけなくここまで流れてきてしまったために、ぜんぜん距離が進んでいないと錯覚をはじめたのである。玉水橋は、新しい橋がかかろうとしていた。そういえば前回、ここの下でみんなが座礁していたんだっけ、と気がついたのは1時間後だった。

玉水橋を通過したところで、雨はやむ気配をみせなかった。下半身はウエットだが、上半身はTシャツとシャツである。漕がないと身体が冷える。しかもここがどこだかわかっているわけではない。漕ぎはじめる。漕ぐと非常に速い。時速10キロぐらい出ているようだ。非常に気持ち良く、さくさくと進む。しばらくすると赤い橋が見えてきた。これが山城大橋なのだが、その時は名前がわからない。橋の下に名前ぐらい書いておいて欲しいものだ。橋のたもとには大きな看板が立っているが、どの看板にも「きづがわ」と書かれているだけだ。橋の外側にはそれでもいいだろうけど、内側には橋の名前が欲しいところだ。橋の名前を知るためには、橋の端まで行って、プレートをみなければならないらしい。せめて地図の方に、色をのせるとか、色の名前を橋の名前に入れるようにしてほしい。ここがどこだかさっぱりわからない。

橋を通過するとき、橋の上の道路の先に、青い行き先表示板が見えた。双眼鏡で見てみる。するとこの橋の上を通っている道が国道307号線であることがわかった。通過する時に河原を見ると、見覚えのある光景が。そう、ここが前回の暗やみでの撤収になった場所だ。まちがいない。しかしまだ4時だ。日没までには二時間はある。もう少し先に進むことにしよう。雨は本降りというほどではない。身体も冷えてきてはいない。雨の中での撤収をするよりは漕いでいるほうが気持ちが良い。

しばらく漕ぐと、見たことの無い橋が見えてきた。頻繁に電車が走っている。この塗色には見覚えがあった。近鉄線だ。するとさっきの二人組が言っていたのはこのあたりのことなのだな。見回したが、それらしい人たちは陰も形もない。無理もない。彼らのペースでは1時間も前に上陸することも可能だっただろうから。

ぽから氏の木津川のレポートを流し読みした限りでは、どこかの橋の下が危ないということだった。ポーテージ(船を降りて、陸の上を船を担いで移動すること)もしたという。見たところ、橋の下は危険はなさそうに見えた。一番右端が一番安全に見えたが、見えない側が浅くなっている危険もある、と右から三番目くらいに近づいていく。全体の真ん中よりも右である。

近づくと、橋の下がスロープになっていて、下が泡立っているように見える。と、あっという間に水の勢いで押されて、橋の下に潜り込む。するとそこに杭が数本出ているのが見える。艇の右側はすべて杭が等間隔に立っている。杭と杭の間はなんとかすり抜けられそうな間隔ではある。だがファルトでは無理かもしれない。そして、水底はやや石堤状に見える、船はその上をすべり降り、杭にもひっかからなかったが、ラダーが「カーン!」と景気のいい音を立てた。フネは、無事通過したようだ。

前方には、今度は白い橋が見えてきた。白い橋は道路の橋のようだ。さらに近づくと緑の看板標識が見える。ということは高速道路なのだ。雨は本降りになってきた。橋の下に筒状のつららのようなものがところどころに見える。道路からの水をそこに集めて排泄しているのだ。そこの真下に行ってはたまらない。気合いを入れて漕ぐ。16時40分、通過。山城大橋からここまで約6キロを40分で通過していることになる。そうとう、速い。
通過して、ぽからさんに電話だ。「どこが危ないって?」「近鉄の橋、あれ、通過したの? 危なくなかった」「杭が出ていた。危ないと言えば危なかった。どこをポーテージしたって?」「上津屋橋。時代劇に出てくる」「どっかいい上がり場所ないの?」「う〜ん、地図見とく」雨は完全に本降りだった。それでも空は暗くない、西の方には夕日の色の黄色い空が雲の切れ目から見えている。寒くもないのでさらに漕ぐ。

黒い、低い、橋脚の狭い橋がようやく見えてきた。これがどうやら、ぽからさん言うところの上津屋橋、みっくさん言うところの流れ橋らしい。近づくと、なるほど竹がたくさんひっかかって、通れなくなっているところもある。しかしおおむね問題はなさそうだ。大きな竹がひっかかっているが、充分にすき間がありそうなところを選ぶ、と、水が落ち込んだところで跳ね上がっているのが見える。50センチぐらいの跳ね上がりだろうか。

「しまった」これはたいへんなことになるかも、と思った次の瞬間、なんの衝撃も揺れもインパクトも感じることなく、フネは平水の上を通過するごとく通過してしまった。つまり、あまりにもつまらない抵抗物が水の流れを大きく変えているだけだったのか、それとも船が上にのることによって、引っ掛かっていた草がはずれてしまったのか、あまりにあっけなく乗り越えてしまったのだ。しかしこれもファルトであれば、そうとう肝をひやしたところだろう。ゴムならばよほど先がとがっていないかぎり、パンクをさせることができないが、ファルトは骨と障害物の間で、皮は簡単に切れるように破れてしまう。ぶつかってもだめ、こすれてもだめ、というのがファルトである。

上津屋橋を通りぬけると、そろそろ真剣に上陸場所を考えないわけにはいかなくなってしまった。もう、木津川大橋なのだ。この橋は車でしかいけない、ということをぽからさんから情報をもらっているので、これより下流ということになる。あきらさんに、遭難しかかっている、と、電話をする。「何?」電話の向こうで不愉快そうな声がする。「道路も見えて、車も走っていて、人家もあって、電話がつながっているのに、遭難するか?」「いや、まあ、それは」と口ごもる。「言葉のあやだ。それに、おれ、からだ弱いし」「まあ、いいや、地図をみてやるよ」

あきらさんとぽからさんの情報により、上陸場所が決定する。京阪電車の橋のたもとだという。距離は二キロほど。ほっとする。それなら一生懸命漕ぐこともないな、と、漕ぐのをやめる。と、とたんに、スイッチをひねったかのように雨がやむ。17時20分、木津川大橋通過。そして、京阪電車が見えてくる。この時間は鳥は完全に鳥目で目が利かない。ぼうっとした風情で立っている。10メートルくらいに近づいても逃げようとしない。ようやく、ゆっくりとした動作で動き出す。この時間に漕ぐのが好きだ。この時間帯に漕がないのはもったいない。街も静けさをとりもどし、河原から人の姿も消えるころあいだ。

私は情報をきちんと聞きそこねていた。本当は、その先の御幸橋の手前100メートルの河原に上陸、というところを、京阪の100メートル手前と思ったのだ。さらに、その手前には、白い橋がある。これは、なんらかのライフラインのための橋のようなのだが、さらにその100メートルほど手前には水門のようなものがあり、そこは浅瀬になっているために上へ階段が続いている。

そうと知らないものだから、しかしそこではないだろう、と水門前を通過。白橋を越える。鉄道の橋の手前に、どうにか登れそうな土手を発見。山城大橋の下と同じく、金網で護岸がされている。そこで降りる。午後6時近く。この時点でほとんど日は没した。土手の上を散歩する犬を連れた女性に駅を訊ねる。親切に教えてくれる。「あんた、どこからくだってきはったん」「笠置から」「ま、えらい遠いやないの」「いや、今日の木津川は流れてますよ」「ほいでも。きぃつけておかえり」「ありがとうございます」

そういえば、ユーコンでも川下りを終えた後、カヌーピープルを出るとき、背中から「きぃつけてくださいね」という関西弁に送られたなあ、と思いながら残照の中で、撤収をはじめる。空気を抜く、ラダーを外す、パドルを分解する。濡れた状態でザックに詰め込む。そして背中に防水袋を背負い、キャスターとトートバッグを手に持ち、そうして、口に懐中電灯をくわえ、土手をよじ登ったときには、あたりには完全に夜のとばりがおりていた。

40キロ、6時間におよぶカヤックの旅は終わった。それにしても今日の木津川は速かった。向かい風に阻まれながら、雨の中をしゃかりきにこいでもまったく前に進まなかった前回とは大きな違いだ。まじめに漕いだのはおよそ90分。その間はおそらく時速10キロ近くはでていただろう。それを差し引き、ただ流れている間も平均時速5キロ以上で進んでいた計算だ。これはすばらしい。変化に富む景色といい、ユーコンよりもドラマチックだ。

とぼとぼと、キャスターを転がしながら、駅へ向う。途中のコンビニで濡れた札を出して小さな買い物をし、ゴミを捨てさせてもらう。駅は京阪八幡駅だ。急行も止まる便利な駅だ。駅に着いたのは7時少し前、この距離は、御幸橋の手前からあがればもう少し短かったのだろう。いずれにしても非常に便利だ。駅でウエットを脱ぐ。さいわい、中の短パンはほとんど濡れていない。長ズボン部分を取りつける。そして、電車に乗る。40分で大阪、淀屋橋だ。

木津から大阪までは1100円ほどかかる。京阪八幡からの電車賃は360円だ。カヤックで旅をすることによって800円近くを得したわけだ。淀屋橋からバスに乗り継ぎ、温泉へ。ようやく身体の垢を落とすことができる。冷えた身体に温泉はなによりのごちそうだ。晴れ、雨、うすぐもり。さまざまな天気も体験でき、スモールユーコンの旅は終わった。プロローグは西表島で、そしてエピローグは木津川で。いずれのエクスペディションも非常に満足できるものに終わった。楽しいカヤック旅だった。そして、支えてくれたかたがたに感謝、感謝。