by のっぽ

【2】錦川ツーリング

今回の私たち夫婦の装備
艇:グモテックスヘリオスラックス380 純正ラダー装備
パドル:3分割パドル×1 4分割パドル×1 予備パドルなし
航行装備:PFD各1 ホイッスル1個 磁石1個 川地図2種類 マップケース入り
ハンディGPS(ガーミン社) ライニング用ライン3本 防水袋 大中小各1
1STエイドキット 包帯 傷用軟膏 消毒薬など
食料(出発時):ちらし寿司 焼きうどん サンドイッチ おにぎり カール ド
ロップ
水 水系ドリンク類 計3.5リットル(二人分)
その他携行品:タオル大小など
着衣装備:ヘルメットなし ロングジョン(2〜3ミリ) ゴムドライタイプトッ

ウォーターシューズ ツバ付き防止 日焼け止め 防水ウエストバッグ
※靴などは岩国駅のコインロッカーに預けた。


旅程
東京駅八重洲南口発9時(入線8時50分)広電バス広島駅行き。11500円(一人片道)約7時間睡眠をとった。岩国行きにしなかったのは、「萩エキスプレス」という名前の通り萩まで行くため、岩国では出発も到着も早すぎるため睡眠不足になってしまうため。

広島駅7時45分着(15分早着)
広島駅7時51分発の岩国行き普通電車
岩国駅8時37分着
岩国駅9時14分発 錦川清流線 9時57分根笠着

根笠駅ではホーム付近に人は見当たらず、降りたのは私たち夫婦だけのようだった。駅から道に出て、とりあえず目の前の橋を渡ろうとすると、そこに大きなパッキングの横にパドルがさしてある、ガラガラに乗った大きな荷物と、女性が立っていた。

間違いなくカヤックで下る人たちだろうと思い、「どちらまでですか?」と声をかけたところ「私は連れてこられたのでよくわからないんです」とのことだった。

川地図によれば商店があるはずだったが、前回もここから出たが、対岸に商店があった記憶がない。そのため前回は食料を持たずにでかけたのだが、途中南桑駅の向かいにある学校で、バザーが行なわれていて、飲食できたのがありがたかった記憶が蘇った。

橋をわたりきったところで立ち止まって、来た方向をみると、のぼりが出ている家が見える。そこで、この後川原かどこかでなくすことになる双眼鏡を使ってみてみると「くだもの」とのぼりに書いてある。

「くだものがあるぐらいだから、食べ物を売っているだろう」と妻にいい、きた道を戻る。と、先ほどの荷物の主もどこからか現われ、カップルで歩いてくる。「どこまでですか?」と、また私のほうから声をかけた。「錦帯橋まで下ろうとおもうんですけど」と前を歩いていた男性が応える。「すごいですね、がんばりましょう」と前回のことがあるので、私はガッツポーズを見せてすれ違った。彼らは迷わず対岸に移動しているのと、装備が非常にまとまっていたことから、熟練者のようにも見えた。

「くだもの」ののぼりが出ていた店は、川地図にも実は載っていた中川商店だ。あまり、食べ物が豊富でなく、私たちが買い物をした後は菓子パンの類しか残らなかった。地元に金は落としたいが、岩国で仕入れてくるほうが得策かもしれない。

酒のようなものはおいてなかったように思えた。かなりこの時点では暑かったので、冷たい飲料を1リットル買い足した。(この店で、合計2リットルを調達)

「川下るの?」「ええ」「どこまで?」「錦帯橋まで行こうかと思ってます。ちょっとがんばんないといけないと思いますが・・・」と前回のことがあるので心細そうに言ってみる。

「まぁ、でも水が多いから大丈夫でしょうねえ、こないだ雨ふったから」「そうですか」思わぬ情報がえられた。実際問題水が多いのか少ないのか、二回来ただけではわからないから。実際に下ってみた感じでは前回よりははるかに下りやすかったわけだが。

「僕ら子どものころは、タイヤチューブで下ったものですよ」と、やや若めの店の男性。正直、ちょっと鼻白んだかもしれない。が、気をとりなおし、「それ、最高の遊びじゃないですか。僕らの船もまぁ、タイヤチューブみたいなもんですけどね」というやりとりも。

タイヤチューブで下れるような川に装備云々を誰かに先輩面して得々と話すのはやめよう、というベクトルに心がここで動いたように思う。

川におりてセットアップをはじめる。他人には、特に装備云々という気はないが、今日は雪辱戦だ。前回は、2.3回沈をしてしまい、時間が取られ、また寒くなってしまったため、不本意ながら途中でリタイヤしたからだ。今日はなんとしても錦帯橋まで行くのだ、と決意していた。

特に航路をきちんと取らないと危険が待ち受けていると思われたので、ラダーのセットアップを念入りに行なう。具体的には、体育座りできちんとコントロールできるように、ラダーケーブル(ただの紐)を調整し、かつ、ケーブルが足に絡まらないように、フットループの輪を小さくした。

また空気が抜けやすいので、かなり慎重に空気も入れた。グモのデッキ部2箇所の栓がないことが分かり、一箇所はボールペンのパーツで、もう一箇所は河原に落ちていた細い竹のフシがある部分を代用した。

以前はマルチツールズを持ち歩いていたが、現在ナイフ類は何も持っていない。911以降、飛行機でのチェックが厳しくなってしまったからだ。預ける手荷物であっても、一度取り出して見せたりと面倒になってしまったからである。

出発は結局11時ちょうどになってしまった。
特に大きな瀬ではなく、2級とは呼べないのではないか、という感じの瀬を乗り切った時、かなり船の中に水が入っていた。その左側にさきほどのカップルが見えた。しかし流れに乗っていたので、私たちは水抜きのためにもう少し下流域の右岸に船をつけた。

彼らはまるでそこから出発したかのようすだったが、考えてみると少しは下ってきているし、流れ的にいってもおかしなところなので、直前で沈をした可能性がある。男性はこの時点で上半身裸になって、直接PFDをつけていたが、この時点ではかなり暑く感じていたので特に不思議はなかった。

私は絶対にやらないが。日焼けがきらいなので。よく考えてみれば沈をしたときにケガをしやすいわけで危険なのだが。商店のお兄さんが言っていた「ゴムタイヤ」の感覚から考えれば、PFDをつけているだけでも重装備だ。

スタートして30分ぐらいのところで彼らを追い抜いたことになる。
13時40分青い橋の下流域で焼きうどんを食べながら流れていると、例のキャプテンスタッグがおいついてきた。2〜3分一緒に流れたが、また別れた。

この一緒になったときにこういう会話をした。
「なかなか快適ですね」
「ええ」
「寒くないですか」
「いやもう、いっぱいいっぱいなので、いけるとこまで行くって感じです」(・・・と男性が笑いながら)
「明日は江の川と思ったんですが、どうもムリかなぁ、と」(・・と男性)
「私たちも、最初はそういう計画しましたけど、けっこう移動に時間がかかるみたいなんで諦めました。宮島とかいいかもしれませんよ」「漕げるんですか?」
「宮島の鳥居は、干潮の時は干上がっちゃって、歩いてもいけるんですよ。それに距離も近いし」
「へえ」
「どこからきたんですか?」
「福岡です」
「福岡には川は無いんですか」(と妻)
「なくはないけどきれいな川がなくて」
「那珂川(博多・天神を流れる汚れた川)で漕いでもおもしろくないですよね」
「(女性が笑って)ええ、あそこは・・・」
「けっこう長くやってるんですか(と男性)」
「まぁ10年ぐらい・・・、あなた方は?」
「まだ2回目なんですよ」
「私もこの川は二回目で、前回の時、何回も沈をしたから、今回は雪辱戦って感じで、ラダーとかつけてきました(笑)」「この先危ないとことかあります?」
「左に大きく急カーブというのがあるので、それは危ないと思いますよ」「それはどこですか? 地図もってきてないんですよ。道路地図コピーしようと思ってて、忘れちゃって」(と、男性)
「GPSの感じだと、5〜6キロ先なんで、まぁ、今の流れだったら1時間ぐらい先かなぁ」

あまり話がはずまなかったのと、先を急ぎたそうにしていたので、ろくに話もなく、といって、別に険悪な雰囲気でもなく、別れてしまった。この時も男性が前を漕いでいて、時々舵をきちんととれていなかったのだが、なんとなく「普通はね」と、ふだんならアドバイスするようなこともせずに、やりすごしてしまった。

実際問題として、横向きに流れたからといって、すぐ沈をするような瀬も少なく、沈したからといって、寒くて震えるほどの気候でもなかったためだ。何より風が強くなかったから、漕いでさえいれば、身体は暖かだったろう。

リスタートして私たちはしばらくして、彼らを追い抜いてしまった。
この時妻は公園ボート状態で、後ろ向きに座っていたが、「なんかパドルが時々バッテンになっている」ということだった。しかし、そこは長いとろ場だったからそうした素直に漕ぐための練習にはもってこいに思われたし、この先もし危ないところがあれば、待ってあげればいいか、とも頭の隅で思った。

14時20分、私たちが二股に分かれた中洲に上陸し、カーブの先の状態をスカウティングしていたのに、彼らは追いついてきたかと思うと、そのまま、先に抜けようとした。これはちょっと無謀な気がしたが、「右側笹竹が出てますから気をつけてくださいね」「ありがとうございます」と女性が言葉を反したのが、彼らとこの日、話をした最後となった。

彼らがそのまま行ってしまったので、私たちも、50mほど遅れて進むことにした。笹竹は完全に本流を通せんぼしていたので、ところどころ座礁しながら、なんとか進むことができた。

彼らの船はあまり上手にコントロールできているとはいえなかったが、順調なスピードで進んでいた。行波(ゆかば)駅付近で、一度止まりかけたが、そのまま通過していった。私は行波の江木商店で酒を買えるという情報があったのと、この先のことを考えトイレ休憩をとることにした。

商店はいっけんハシゴで上がらないといけなさそうだったので、諦めてリスタートしたが、なだらかな上にあがる道がすぐあったので、相談して、上がって二人でトイレを借りることにした。先行したカップルも同じことを考えたのかもしれない。しかし、リスタートしてから、もう一度、考え直すことができなかったのかもしれない。

私たちはほとんど互いが見えるところにいなかったため、よくはわからないが、本当は女性はトイレに行きたかったのではないだろうか。そして、次の橋のところで、橋のすぐそばに接岸しようとして、不用意に橋に近づいたことが最悪の事態を招く結果になったのではないだろうか。

私たちが、江木商店に立ち寄るため、上陸したときは彼らの姿は見えなくなっていた(左カーブのため)。上陸してスロープを上がりながら「何時?」と聞いたところ「3時」と妻が答えた。(これは妻のみ腕時計をしていて、私は防水の携帯電話をウエストバッグに入れていたため)

ただ、実際には、3時というのはだいたいの時間で、5分ぐらい前だったとのこと。従って、彼らが、行波の橋を通過したのは14時45分ごろだったかもしれない。

商店では10分ぐらい買い物とトイレにかかった。
日本酒の梅酒味のものと、島根ワインを買った。再出発の時に、このワインを飲み始め、ボトルに1/3ぐらい飲んでからようやくマジメに漕ぎ始めた。

長いとろ場が続くためと、GPSの距離程で考えるとまだ半分くらいを過ぎただけなのに、スタートから4時間が経過していることを考え、少し急がねば、と思ったこともある。

この時点で漠然と18時前に錦帯橋が見えるところにつきたいな、と私は計画していたからだ。そこで二人でかなり早く進んでいた。
しかし、いっこうに前方に先行したカヤックの姿をとらえることはできなかった。

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