by のっぽ
【4】事故〜その2

その後はよく覚えていない。まだ船を外そうとしていたが、ふと気が付くと、岸に女性が寝ていた。
救急隊員が胸を叩き、顔をバッグしている。だが、呼吸はしていないようだった。
左足の親指のツメだけに、書きかけのネイルアートのようなものがあった。
はだしということは、靴は履いてなかったのだろう。外傷はなさそうだった。

救急隊員からロープを渡され、男を助けにいってくれ、と言われた。確かに、また50mほど下流に流されていたが、すでに、ロープも投げられていた。5人もカバーしている。そのまま女性のところに戻った。

男性は、下流のほうに流されていっており、ロープで救われたようだが、岸から起き上がろうとしない。号泣しているだけだ。

私にできることは、バッグされている女性のそばで「がんばれ」「戻って来い」と大声を出すことだけだったが、反応はなかった。私の声に気が付いたように、橋の上からも「がんばれ」という声が飛んでいた。結局彼女はそのまま救急車で搬送されて行った。


救出が終わっているけど船はまだ張り付いている
(けどほとんど見えない)橋の上左から二人目が私です。


救出は終わっているが船はまだ張り付いている
(けどほとんど見えない)私たちが最初に見たときもこんな状態


上の写真の部分拡大。船はほとんどみえない。


張りついた船をひきあげているところ。



私たちが船を停泊させた場所との位置関係。


6人がかりで船を引き上げたところ。

私がしたことは役に立ったのかたたなかったのか。ほとんど何もできなかった。落ち着いていたつもりでかなり動転していたことも確かだった。特に私が到着したときには、もうかなり時間がたっており、諦めムードを少し感じた。そうであってはいけないのだろうが、こういう場面で「助けて、助けてあげて」となりふりかまわず応援を呼ぶことも必要だったかもしれない。

私たちが救出作業をしている最中や、私たちが到着する直前にも何台もの車が橋を通過した。彼らに助けを求めることはできた。しかし、何をどうしてよいのか誰もわからなかった。牽引ロープのようなもので、フネの片方の端を引っ張ることもできたかもしれない。しかしそれはどれだけ手際よくできたか疑問だった。

中国新聞に載った記事には、カヌーはあちらこちら破れていた、とあった。いやそれは私たちが救出のために鉈やカマで破ったものだ、といいたかった。カヤックを使えば救出できただろうか。私たちがライニング用に持っていたロープでは細すぎたが役に立ったかもしれない。

船にロープをかける場所はあっただろうか、分からない。
主がいなくなり、ナタで空気が抜かれたフネは、5人ほどの救急隊員の手によって、引き剥がされた。装備も次々と、河原に運ばれた。

5人ではがせたのなら、私たちが到着したとき、そこには5人いたわけだからはがせたのかもしれない。本当に全員で川に入って、火事場の馬鹿力を出せばはがせたのかもしれない。ただ、消防隊員がはがしたのは、空気をナタで抜かれたものだった。一杯一杯に、空気が入っている状態のものを、果たしてひきはがせただろうか。

しかも、フローティングを持っていたのは3人に過ぎない。私が動転したことで二次災害をおこさなかっただけでも、救いかもしれない。男性は責任感からかなり無理な救助活動をしていた。誰も彼を守ってやれなかったから、彼が軽症で済んだのは、まだ私の苦痛を和らげる。

少なくとも、私は、これ以上誰かを不用意に巻き込むことはしなかった。川の流れは時速15キロにも達し、かつ橋脚の回りではやや複雑な動きをしている。装備なしに不用意に入り込み足を滑らせたとき、頭部を打てば、重大事故になりうる。

しかしながら結局あれだけの時間がかかるなら手順がかかっても、もっとできたことがあるはずだった。が、わからない。カヤックのメーカーなどは、そういう環境での張りつきテストや、救出講習などをして欲しいものだ。

当然、インフレータブル艇ははりついたら終わりである。横倒しになるときは上流側に転ばなくてはいけない。しかし、いざというときそれはできるだろうか?

その後、下流に下っていく途中で、彼らのものとほぼ確定できる、パドル1組、日焼け止め、そして、ツーリングバッグを拾得し、岩国の警察に届けた。また事故の前後を撮影した画像も、メールで送信した。

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